おはようございます
そろそろ「あけましておめでとうございます」もどうかなぁ・・・おね
という時期になってきましたが、それでも今年初めてお会いした方には
「あけましておめでとうございます」
ですよね。
旧正月くらいまではいいのでしょうか?
いつまでいいの? ちょっと疑問。
では、本題。
私は2週間に1度「コミュニケーションスキル」の勉強をしています。
人との関わり方って、家庭や学校、社会にでて自ら学ぶことが多いですが、
それをわざわざお金を払って学ぶってどうなの?
と思う方もいるかもしれません。
でも、自分で学ぶことには限界があります。
だって、世の中には人との関わり方がうまく行かなくて、
ストレスを抱えている人って多いと思いませんか?
私は「コミュニケーションスキル」を学びだしてから、
学校の授業に取り入れればいいのに・・・と真剣に思っています。
このブログを呼んでくださっている数少ない読書の皆様の中に
教育関係の方がいらっしゃったら、ぜひ提案していただきたいなぁ~
なんて思ったりします。
小学校のうちにきちんと正しい人との関わり方を学べば、
今問題になっている「いじめ」「不登校」その他心の問題から起こることの
多くが解決できるのではないかと思います。
そして、何より親となっときあるいは会社で部下を持った時、
この学びはとても有効になると感じています。
勉強ができるかできないかもとても大切かもしれませんが、
人との関わり方が上手になれば、もっともっと楽しい人生を過ごせるのではないかなぁ・・・
と思うのです。
と、これは本題ではなかった(^^ゞ
タイトルの「見立て」と「見方」は昨日のお題でした。
そもそも「見立て」とは
1. 物の様子を見て、価値や状態を明らかにすること。鑑定。
2. ある物を見たときに、別の物を想起し対応付けること。
「見方」は
見る方をコントロールすること。(見る対象はそのまま)
見る方法。 見解。
以上、はてなキーワードより
人は、相手を見るときに第一印象で「こんな人だろうなぁ~」と考えてみたり、
あるいは、何回かの積み重ねで「こんなひとなんだ」と決めてしまうケースがあります。
これは「見立て」です。
でも、その「見立て」は自分は同じ立ち位置で、
相手の同じところだけを見ている感じですよね。
って言うか、「こんな人だろうなぁ~」と思ってしまうと、
たとえ違うところがあったとしても、陰に隠れてしまって見えなかったりします。
そこで「見方」が大切になってくるんです。
「見る方をコントロールする」
つまり、いろいろな角度から改めて見てみたり、
「こんな人と思っていたけど、違うかもしれない」と思って
相手を見たり・・・
私も、友人にしてもクライアントにしても
どもかで「こんな人」と勝手に決めていることが多いと改めて感じました。
でも、良くも悪くも人は1面だけしかないなんてことありませんよね。
私にたとえると、周りから「しっかりしている」とか「何でもできそう」
(かなりお世辞もあるかと思いますが)なんて言われます。
でも、実際の私は、かなりのおっちょこちょいで、苦手なことのほうが多いのです。
しっかりしていたりできる一面もありますが、そうでない部分もかなりあるわけです。
みなさんの周りの人たちも、ちょっと見る角度を変えると違う一面が見えると思います。
特に苦手意識の強い人に対して「見方」を変えてみてはいかがでしょうか?