2013年01月10日

「見立て」と「見方」

おはようございますicon06

そろそろ「あけましておめでとうございます」もどうかなぁ・・・おね

という時期になってきましたが、それでも今年初めてお会いした方には

「あけましておめでとうございます」

ですよね。

旧正月くらいまではいいのでしょうか?
いつまでいいの?  ちょっと疑問。


では、本題。

私は2週間に1度「コミュニケーションスキル」の勉強をしています。

人との関わり方って、家庭や学校、社会にでて自ら学ぶことが多いですが、
それをわざわざお金を払って学ぶってどうなの?

と思う方もいるかもしれません。

でも、自分で学ぶことには限界があります。

だって、世の中には人との関わり方がうまく行かなくて、
ストレスを抱えている人って多いと思いませんか?

私は「コミュニケーションスキル」を学びだしてから、
学校の授業に取り入れればいいのに・・・と真剣に思っています。

このブログを呼んでくださっている数少ない読書の皆様の中に
教育関係の方がいらっしゃったら、ぜひ提案していただきたいなぁ~

なんて思ったりします。

小学校のうちにきちんと正しい人との関わり方を学べば、
今問題になっている「いじめ」「不登校」その他心の問題から起こることの
多くが解決できるのではないかと思います。

そして、何より親となっときあるいは会社で部下を持った時、
この学びはとても有効になると感じています。

勉強ができるかできないかもとても大切かもしれませんが、
人との関わり方が上手になれば、もっともっと楽しい人生を過ごせるのではないかなぁ・・・

と思うのです。


と、これは本題ではなかった(^^ゞ

タイトルの「見立て」と「見方」は昨日のお題でした。


そもそも「見立て」とは

1. 物の様子を見て、価値や状態を明らかにすること。鑑定。

2. ある物を見たときに、別の物を想起し対応付けること。


「見方」は

見る方をコントロールすること。(見る対象はそのまま)

見る方法。 見解。

以上、はてなキーワードより


人は、相手を見るときに第一印象で「こんな人だろうなぁ~」と考えてみたり、

あるいは、何回かの積み重ねで「こんなひとなんだ」と決めてしまうケースがあります。

これは「見立て」です。


でも、その「見立て」は自分は同じ立ち位置で、
相手の同じところだけを見ている感じですよね。

って言うか、「こんな人だろうなぁ~」と思ってしまうと、
たとえ違うところがあったとしても、陰に隠れてしまって見えなかったりします。


そこで「見方」が大切になってくるんです。

「見る方をコントロールする」

つまり、いろいろな角度から改めて見てみたり、
「こんな人と思っていたけど、違うかもしれない」と思って
相手を見たり・・・


私も、友人にしてもクライアントにしても
どもかで「こんな人」と勝手に決めていることが多いと改めて感じました。

でも、良くも悪くも人は1面だけしかないなんてことありませんよね。

私にたとえると、周りから「しっかりしている」とか「何でもできそう」
(かなりお世辞もあるかと思いますが)なんて言われます。

でも、実際の私は、かなりのおっちょこちょいで、苦手なことのほうが多いのです。

しっかりしていたりできる一面もありますが、そうでない部分もかなりあるわけです。


みなさんの周りの人たちも、ちょっと見る角度を変えると違う一面が見えると思います。

特に苦手意識の強い人に対して「見方」を変えてみてはいかがでしょうか?


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